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3月10日今日は何があった日?東京大空襲

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これから時間のある時には、風化して欲しくない出来事、娘がいつかこのブログを読んでくれた時に、知って欲しい事を自分なりにまとめてみようと思います。

 

2021年3月10日は東京大空襲から76年、この日は「東京都平和の日」にも定められていて、東京都墨田区横網町公園 東京都慰霊堂にて法要が行われています。

 

 

東京大空襲とは

東京都は、1944年(昭和19年)11月24日以降、106回の空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。

Wikipediaより

ja.wikipedia.org

 

東京大空襲は1945(昭和20)年3月10日午前0時8分、太平洋戦争のさなか米軍B29爆撃機の空襲により、死者数が10万人以上、罹災者は100万人を超えた空襲を指す。

 

米軍指揮下では「ミーティングハウス2号作戦」と呼ばれているこの東京大空襲は、3月10日午前0時7分に爆撃が開始、325機の出撃機のうち279機が第一目標の東京市街地への爆撃に成功し、0時7分に

第一目標 - 深川区(現在の江東区
第二目標 - 本所区(現在の墨田区
第三目標 - 浅草区(現在の台東区
第四目標 - 日本橋区(現在の中央区

へと到達。その後城東区(現在の江東区)、0時20分には芝区(現在の港区)へと爆撃。

 

約2時間半の間続いた空襲の焼夷弾の量は、制御投下弾量は38万1300発、1,665トンにも上り、死傷者約10万人、負傷者4万人以上、被災者100万人以上、被害家屋約26万戸、この空襲で一夜にして、東京市街地の東半部、実に東京35区の3分の1以上の面積にあたる約41平方キロメートルが焼失したと言われている。

 

東京大空襲が残した問題

戦時中という異常事態の中で起こった事に対し、個人的な感想は控えようと思いますが、どの国でも戦争が起これば大人から子供までたくさんの民間人の被害者が発生します。

また東京都が記録した東京大空襲など戦争体験の証言ビデオ300本以上が、当初展示予定だった「都平和祈念館(仮称)」の建設計画が凍結したため、長年倉庫に放置され、活用されない状態が20年以上続いている。とのニュースがありました。

 

目的外での公開には「本人同意が必要」とする一方、意向確認は進めておらず、証言者たちが高齢化、既に亡くなっている方もたくさんいるはずで活用されないままとなっているそうです。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

空襲で亡くなった子供たちはいうまでもないですが、生き残っても家族を失った方、孤児として長年苦労をした人たちの証言もたくさんあるはずですし、その時、その場所にいなければ見えなかった景色もたくさん残されているはずですので、証言して下さった方の意志を尊重する為にも、是非有効的な活用を考えてほしいと思います。

 

以下は東京大空襲で孤児になった方々の証言です。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

youtu.be

 

 法要が行われる都立横網町公園とは

毎年法事が行われる度に不思議だったのですが、「都立横綱町公園」についてせっかくなので調べてみました。

 

都立横網町公園は慰霊と伝承の公園だそうです。

大正11年(1922年)、当時の東京市が陸軍被服廠(ひふくしょう:軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収、公園の造成を進めていた所、翌12年(1923年)9月1日に関東大震災が発生。まだ空き地状態だった被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難して来たそうです。

関東大震災は、昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたことで、大規模な火災が起きた事も有名ですが、ここにも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移ったそうです。激しい炎が火災旋風(巨大な炎の竜巻)を起こし、この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われたそうです。

 

関東大震災の死者は7万人を超えるといわれています。この諸霊を弔慰するため四十九日に相当する大正12年10月19日に、この地において東京府市合同の大追悼式を挙行したのが、都立横綱町公園の歴史の始まりだそうです。

毎年、関東大震災の法要が行われていたことから、当初は「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)には、慰霊堂(当時は震災記念堂)や鐘楼、日本庭園が、時の皇室から庶民までの尊い寄付を受けて完成、9月1日、横網町公園として開園したそうです。また翌年には、復興記念館も完成し、ほぼ現在の横網町公園のかたちとなっています。

 

園内マップ

f:id:babyintokyo:20210310171641j:plain

 

https://tokyoireikyoukai.or.jp/location/doc/yokoamipark.pdf

 

考えていたよりもずっと広くて驚きましたが、今はこのような感じになっているそうです。

 

その後、太平洋戦争下に前述の東京大空襲が発生。下町地域に大きな被害をもたらし、昭和26年(1951年)東京空襲遭難者の仮埋葬遺骨の改葬が終了したものの、身元不明者10万5千人を震災記念堂に合祀することとなったそうです。

震災遭難者約5万8千人と合わせて約16万3千人の遺骨が慰霊塔に納められ、御遺骨が安置されており、昭和5年(1930年)は「震災記念堂」だった名称も、「東京都慰霊堂」と改称されたそうです。

 

今も、毎年関東大震災の9月1日と東京大空襲の3月10日に遺族をはじめ、皇族方のご臨席を仰ぎ、関係各方面から来賓の参列を得て、春秋の慰霊大法要を開催しています。